甲子園の歴史で生まれた名選手

 
甲子園

阪神タイガースは東の大将である巨人に対抗する球団としてプロ野球界で存在感を示してきました。昭和40年代に巨人がV9を達成した時期にも村山、江夏、田淵らの選手を中心に巨人戦に牙をむき、多いに甲子園のファンを楽しませてきました。

悲壮感を漂わせながら王や長嶋に向かっていった村山実は、シーズンの防御率が0.98と1点を切ったことがありましたし、江夏もオールスター戦で9者連続三振という記録を作るなど、巨人に引けを取らない名選手が多く誕生しています。

打者でも美しい放物線を描くホームランを放つことから、「ホームランアーティスト」と言われた田淵幸一は、全盛期の王を押しのけてホームラン王に輝いたこともありました。

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また、阪神タイガースの歴史上唯一日本一になった1985年には、史上最強の助っ人と言われたバースが甲子園のファンを沸かせました。また、バース、掛布、岡田が3者連続でバックスクリーンにホームランを打ったこともありました。

甲子園球場での阪神タイガースの名試合

 
甲子園球場

阪神タイガースは長い球団の歴史において本拠地である甲子園球場で多くの名試合を演じてきました。その中でも1試合をあげるとすれば、1985年の日本シリーズ第5戦があります。

阪神タイガースは長い歴史において1985年に一度日本一になっていますが、この年の日本シリーズで唯一甲子園球場で勝利したのがこの第5戦なのです。このシリーズは最初の2戦を阪神がとったものの、3戦目からは西武が巻き返して4戦目を終了して2勝2敗のタイになっていました。

そしてこの5戦目を勝った方が日本一に王手をかけるという大事な一戦で、阪神は掛布の先制スリーランや長崎のダメ押し2ランなどで見事に勝ちました。

そしてそのままの勢いで敵地に乗り込んだ第6戦も勝って日本一になりましたので、本拠地で勝った第5戦の持つ意味は非常に大きかったという訳です。

特に第5戦でホームランを打った長崎選手が第6戦の初回にも満塁ホームランを打ったことがファンには印象深いシーンとなっています。

バッターボックス

甲子園の土が生み出す感動のシーン

 

高校野球において、甲子園のグラウンドの土を持ち帰るという行為は、敗退した球児たちの間で長く受け継がれてきた特別な習慣です。この行為は、単なる記念品を持ち帰る行為にとどまらず、多くの球児にとって努力や思い出を象徴する儀式のようなものです。

グラウンドにしゃがみ込み、手で土を集める姿は、観客や視聴者の心を打つ場面として多くの試合後に見られます。この土は、長い練習の日々やチームメイトとの絆、そして甲子園という特別な舞台に立てた証として、選手たちの手元に残されます。

また、この行為には「次こそ戻ってくる」という誓いや「今まで応援してくれた人たちへの感謝」が込められることが多く、単なる敗者の行為ではなく、未来への希望や感動的なドラマが詰まっています。

甲子園の土を持ち帰る習慣が定着したのは、1930年代のことと言われています。戦前の時代、甲子園球場はすでに高校野球の聖地として多くの球児たちの憧れの舞台でした。このころから、敗退した選手たちが試合後に記念として土を集め始めたことがきっかけとされています。

当初は公式な慣習というよりも自然発生的な行為であり、球児たちが甲子園で戦った証を残したいという純粋な気持ちから始まったものでした。その後、この行為は高校野球ファンやマスコミによって取り上げられ、全国的に知られるようになります。

現在では、敗者が甲子園の土を持ち帰ることが高校野球における象徴的なシーンの一つとして広く認識されています。

また、土を集める専用の袋が提供されるなど、公式にもサポートされるようになり、伝統的な行為として完全に定着しました。このような歴史の背景には、甲子園そのものが日本の高校野球にとって特別な存在であり続けているという事実が反映されています。

甲子園の土を持ち帰るという行為は、単なる慣習にとどまらず、高校球児たちの努力や絆、未来への希望を象徴する特別なものです。

この習慣が自然発生的に始まり、長い年月をかけて日本中の高校野球ファンに受け入れられ、愛されてきた背景には、甲子園という舞台が持つ特別な価値が深く関わっています。

土を集める球児たちの姿は、単なる敗北ではなく、青春の一ページとして多くの人々の心に刻まれ続けています。これからも甲子園の土は、球児たちの思いをつなぐ大切な象徴として、その価値を増していくことでしょう。

甲子園土